「変わってるね」は褒め言葉

一部上場の大企業を辞めて起業したCEOの戯言

俺経験則よる日本人最大値基準の法則

日本において集団の中では、集団の中で忍耐・我慢・許容値が最大値の人が基準になってしまう、というのが経験的な持論である。日本人は横一列、とは良く言われることだがそれに似ているものの、やや違う見方として取られて欲しい。

空気を読む、とは良く言うが、一番我慢して読んでしまったひとに結局合わせないといけないことになってしまう。会社でいうと、最後まで会社にぐだぐだ残る人。有休とらないひと、上司のわけわからないプレゼンにYES・YESと聞いているひと。

これらにおいて最後まで残った人・我慢した人が基準で0(ゼロ)である。それよりも早く帰るとネガティブ、良くないというレッテルが張られるわけだ。身に覚えがあるひともいるのでは。 その最大値よりも自分のピークがくるとネガティブ評価、悪く思われてしまうのだ。

集団における基準値=ある個人の最大許容量(忍耐・我慢・・・)

この法則の怖いところは、その最大値を持っている人が、悪意がない場合である。得てしてそういうことも多い。

例えば、全く上司やクライアントからの無茶ぶりも特に気にせずさらっと受けてしまう人がいる。本人は、これぐらいのこと死なないよ、皆で頑張ろう的なぐらいにあっけらかんとしているわけだが、周囲の人は実はひぃひぃいっていたりする。実際、過去にそういう部署にいたが、本当にこの最大値をもつひとは案外良い人だったりするから、改善が難しい。本人も気がついていないから。

経済心理学でいう現状維持バイアスが高い人が集団にいると、これまたひっぱられる。

新しい事をやろうとすると、「いやいや、いまのままでいいじゃん」というやつだ。これが大きい人がいると、どんなに変えようとしても変えない方が正しい、という方向になってしまう、それもよく考えずに釣られてしまっていくのだ(たぶん、ここは経験則)。

以前、私は上司にたてついてプロジェクトの是非を議論したことがある。後日、後輩らに「僕もそう思いました!応援します!」との声をあちこちで聞いた(これも、だったらなんで援護射撃をその時にお前らはしないだよ、とちょっとムカッともしたが)。

「気持ちはわかるんだけどね、プロジェクト潰れると組織もどうなるかわからないし、僕、まだこの会社に居たいから、ちょっと我慢して粛々とやらせてくれない。迷惑なんだよね、そういうの」というリーダーがいた。こういうやつが会社を駄目にするんだと当時思い落胆した。しかし、彼は別に悪気があってそう行ってたわけでもなければ、「自分は困る」と言いきっていたのだが、結果として、安定化バイアスが強い人がいると、全体として引きずられてしまっていく。各自の安定化バイアスが最大基準の法則に従ってより強くなってしまう、係数値が高くなる、というイメージだ(理系的な発想で申し訳ないが)。

有休・残業問題は典型的だ。おもわず tweet してしまったが、これ、

ほんと、日本人、大丈夫か、と。これも持論の法則が働いている気がしなくもない。

日本のサービスの正確さ・クオリティ(どこでも、いつでも、誰にでも)を世界基準で考えると非常に高く、それは消費者側としては嬉しい訳だが、それがいつの間にか自分たちの首をしめてないか、と思う。過剰になりすぎてないか、と。

かくいう自分は安定化バイアスよりも変革バイアスのほうが強く、すぐ場を荒らしてしまいたくなる、閾値が低いタイプである。それでも数十年大企業で働けたのだから、やっぱりどこかで法則にひっぱられていた気がしないでもない。