IT化によって人は馬鹿になっている
技術の進歩によって人が長生きできたり見知らぬ人と会って議論したりできるようになった。 手紙からメールへ、電話から携帯電話、世の中はインターネット社会である。無くてはならないものになってきた。
そんなIT技術ではあるが、これによって人間が馬鹿になっていることを忘れてはいけない。
記憶はネット(クラウド)という外部記憶に任せるようになった。
そうググればいい、そういう時代だ。親から受け継ぐべきお作法なんかも全部ググればいいのだ。覚える必要がなくなった。これって楽なようで怖い事だと思う。そう、ネットがないと無知の人間のできあがりになる。
もちろん優秀な人間は、ネット(クラウド)も使いよう、と活用する側に回るのだが、そうでない人は使われる側になってしまう。情報を吸い上げられ、本人は空っぽなまま。
歩きスマフォ、ながらスマフォは危ないよ、といっても全く直る傾向は見えない。むしろソーシャル依存症がますます増加して加速しているように思える。
前置きが一般論的に書いてみたのだが、自分は車好きなので、車業界で気がついたIT化の弊害について絞って話をしてみよう(強引)。
無灯火運転増加中
最近、無灯火で走る車がやけに多い。そして、その原因がようやく分かった。
インパネのメーターなどが全て自発光になったことで、ライトをつけているかどうか分からないらしい。一昔前の車は、電球がついてメーターを照らしていたので、夕方や夜、車に乗り込むと真っ暗だから、無灯火かどうかは一目瞭然。しかし、LEDなどので発光するメーターは昼間も発光する。
街灯もいまは明るい。都会など本読みながら歩いて帰れるぐらい明るいのだ(NGですが)。だから余計気がつかない。
自転車や車のライトは、自分が見える見えないの問題ではなく、相手に気付かせるためのものでもあるのに、破綻しているのである。これもIT化の弊害かと(自分では)思っている。
ドイツの名門自動車メーカーのベンツは、ライトのON/OFFスイッチをすでに無くしている。自動で点くのだから不要でしょ、ということだ。はなから人間を信用してない割り切り判断である。さすが。
ナビの進化による弊害
ナビの進化で予習なしに土地勘ないところに行けるようになった。
しかし、それによって、運転中、ナビに夢中になってふらふら走ったりするやつが増えた。ナビが「ここを右折です」といったところをちょい通り過ぎると、Uターン禁止であろうが一方通行だろうがナビに従ったところに戻ろうとする。
リルートが速ければそんなことしないだろうけど、どっちにしろ、ナビに遣わされているドライバーになっている。ちょっと機転きかせば、右折右折左折か左折左折右折で戻ってこれるのに。これもITに使われちゃってる例である。
人間を予習させる機能をナビにつければいいのに、とも思ったが「余計なお世話だ、おまえは指示だけしとけ」となるんだろうな。
駐車恐怖症
バック駐車が苦手な人に便利なアシスト機能。勝手にハンドルがまわってくれたりする。これに慣れきると、いざってときに困るのに、なぜか、もう頼りきりな人がいて、たまたま狭いデパートなんかで機能しなくて悪戦苦闘しているのをみる。
せっかくのアシスト機能で自分の運転をコーチングしてくれればいいのに、とおもうのだか、「機械は余計なこといわなくていいから、面倒なところを代わってやってくれ」がユーザーの気持ちなんだろう。そしてどんどん下手くそになっていく。
ETC
ETC自体は便利である。特に異論はない。これについては、IT化によって違う問題が露呈した例でとりあげる。
ETCのゲートは、20km/h以下で通行することが推奨されている。ただし、通信速度などシステムとしては、50km以上、実証試験では 80km/h でも認識動作することが分かっている。
しかし、ETCカードの入れ忘れやなんらかのトラブルでゲートが開かなくなった場合の追突事故などを防ぐために20km/h以下を推奨しているのだが、あいつぐ衝突事故、推奨速度超過通過、不正通過(前の車にぴったりくっついて無料で抜けるなど)が増えたため、
あえてゲートを開くのを遅くしている
のだ。まぁこれはシンガポールのように全車両ETC設置義務にならないかぎり、ゲートは必要としているようなので「弊害」とは言えないが面白い例なので書いておいた。
まとめ
IT化によって便利になったことは多い。
しかし、それによってどんどん人間が馬鹿鈍感になってきていることへの警告である。