「変わってるね」は褒め言葉

一部上場の大企業を辞めて起業したCEOの戯言

行列好きな日本人の気質が社畜を生む?

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近所に近年急にテレビで紹介されて有名になったステーキ屋がある。 いつ見ても外に何十人も並んで行列ができている。 冬場のクソ寒い日も花粉が飛びまくっている日も熱中症で倒れそうな夏場ですら。

おそらくここで食べた人たちは、

  • 「1時間も並んで食べてきたけど、まじ美味かったよ」
  • 「並んでこそ美味しさが倍増するんだよ」
  • 「皆食べて美味しいっていってるよ!」

と口に出すだろう。

ここになんだか日本人の『我慢は美徳』『同調意識』みたいなものがプンプン匂ってきた。つまりは、社畜よろしくなブラック化を野放しにするのは日本人の気質や性格なんじゃないかな、と感じている。

もちろん極論だし、単なる自分の推測だけではあるのだけど...

欧米の知人にこういう話をすると「お客さんをバカみたいに並ばせる時点で、皆、違う店にいくよ」という。そして、「お前がそこで1時間並んでいる間に俺は別の店でもっと美味しいものを食べて楽しく過ごした」という自慢話になるという。

日本だと確かに「すごく並んだ」「待った」「安くした」みたいな我慢ネタがなぜかもてはやされ美徳的になる。単語だけでみるとネガティブな印象をもつ体験がポジティブに捉えられている気がする。

これって、「残業を100時間今月はした」「今月も休出」「睡眠時間けずって頑張った」みたいな仕事の我慢話と同じにもみえる。

西洋人にそういう我慢話をすると割と本気で引かれることがある。彼らはどっちかというと、いかに楽に簡単にやったか、とか、人とは違う高いものを買ったとか、そういうポジティブ系の自慢はする。

日本だと佳境な環境で頑張ってアウトプットだしたことを自慢するけど、外に出ると、いかに楽にうまくアウトプットをだしたか、の自慢の違いである。

日本ではネガティブ自慢ができる、許されるから、そういう社会になってしまうのではないか

もちろん海外でも逆境から頑張って這いずり上がったサクセスストーリーは聞くしそういう話題が皆無ってわけではない。でも、ネガティブな部分については、「なぜそれを美徳やよい事にすり替えるのはおかしいよ」とコメントされる。

日本人でもベストセラーを叩き出す経営者や事業家の本や発言をみると、彼らはそういう我慢=美徳とはしておらず、その我慢となるストレスを排除するためにどんどん決断して進めると言っている。

ここまでの話は私個人の極端論。こういう社会的な慣習と事象はそう簡単にリンクはしないだろう。あくまでもネタ的に投稿してみた。

自分は、並ぶことがただただ苦手な人間なのである。